初心

 

遡ること『あの日』、2013年3月2日。

 


以前から友人Aに、「関西ジャニーズjrのライブに行きたいけどチケットの取り方がわからない」と相談されていた。

当時中学生の私は、母と共に熱狂的なジャニヲタで、友人Aのことを母に話すと早速2階席の2連番チケットを確保してくれたので、あの日の私は友人Aとオリックス劇場に向かっていた。


そのライブは、関西ジャニーズjrのレギュラー番組「まいど!ジャーニ〜」の中心メンバー「kin kan」と「なにわ皇子」の初単独公演で、友人Aに言われるがまま、事前に番組を見てメンバーを予習した。デビュー組の存在しか知らない私は、ジャニーズで私と同い年や小学生もいるのか!と驚いたけど、当時の自担・大倉忠義くんから担降りしようと思うほどではなかった。とりあえず友人Aの推しを観に行ってみようと、少しワクワクしていた。

 


会場前の公園には大勢の女子中高生で溢れていて、今まで行った嵐や関ジャニ∞のライブとは全く違う雰囲気。当時デビュー3年目の佐藤勝利くんがゲストとして来てくれることもあり、勝利くんのファンが多かったことを覚えている。まあみんなまだJrだしファンが少なくても当たり前か、と思った。

 


舞台の幕が開く。

 


最初は何となく全体を見ていたのに、だんだんステージの右端から目が離せなくなった。


そこにいたのが、当時16歳の西畑大吾くん。


番組で見たのんびりした雰囲気や話し方とは違う人を惹きつけるパフォーマンス力。一生懸命なダンス、客席に向ける表情やファンサービスがコロコロ変わって飽きさせない。先程までJrを甘く見ていたことを反省した。

そんな宝石の原石のような西畑大吾くんは、今まで私が見たことのないアイドルの姿だった。

 


ライブが終わって家に着くと、撮り溜めしてた番組を何度も見返した。この時まだ何も知らない私は、原石が宝石になるのは来年か、再来年くらいかと勝手に思っていた。多分この6人でSexyZoneの次にデビューするんだろう。それならデビューするまで応援しよう!


未熟で、未完成で、発展途上のアイドルが夢を掴む瞬間を、必ずこの目で見届けると心に誓った。

 

 

 


それからは友人Aと連番してズブズブと沼に浸かりだし、少しして気づく。ジャニーズJrたちは、ジャニーズという大きな冠を被っていても、デビュー組のようになんとなくテレビを見ている、本屋さんに行く、街を歩くだけでは全然目に留まらない。見つけられないというのは、ファンが増えるチャンスもすごく少ないということだ。


西畑くんはユニットを組みマイクを握っている時点でかなり優遇されているとはいえ、特定の番組以外はほとんど出られず、毎月のアイドル雑誌にも1ページ程度しか載らない。東京のjrは先輩グループのバックで踊る機会も多いのに、関西jrは松竹座という小さな舞台でシーズン毎に連日公演を繰り返し。世間に見つかる機会はほぼ無い。

 


そんな関西jrに所属する西畑くんに舞い込んだ大きな転機はやっぱり、朝ドラへの初出演だったと思う。


突然の発表に狂喜乱舞した。主演・杏さんの息子役という大舞台。思えば兄役は菅田将暉さん、叔母役は高畑充希さんなど豪華すぎる共演者たち。家族みんなに愛されるキャラクターと、見せ場のラストシーンで見せた泣きの演技が話題を呼び、ほとんど無名だった西畑くんはその瞬間、役者としての新たな一歩を踏み出した。

 

役者の西畑大吾くん。

アイドルの西畑大吾くん。


2人の西畑くんは、同じだけど少し違うと思う。西畑くんは自分から「朝ドラに出演してます!」とよく発言した。私も、西畑くんを知らないという友人や、行きつけの美容師さんに「朝ドラに出てて…」と説明していた。


でも本当はもっと、私が大好きなアイドルの西畑くんのことを知ってほしかった。


役者の西畑くんのことももちろん大好きで、本当に素敵だと思う。でもあの日大好きになったアイドルの西畑くんが、私にとっては特別だった。けれどその時、アイドルとしての西畑大吾くんはまだまだ知られていない存在だった。

 

 

その約2年後、西畑くんの組んでいたユニット「なにわ皇子」が消滅した。ジャニーズWESTのデビューで関西Jr全体のファンが大きく流れたことと、若手のセンターだった永瀬くん、平野くんが東京へ拠点を移したことが引き金だったと思う。西畑くんは、自然な流れでセンターになった。ならざるを得なかった、とも言えるかもしれない。


同じ時期、友人Aが応援していたアイドルが、新しい夢を叶えるため進学と共にJrを辞めてしまった。そして私に関ジュを教えてくれた友人Aも、ジャニヲタから完全に卒業した。

 


ついに1人で通い出した2015年夏の松竹座。隣に座るのは知らない誰かのファンで、その舞台には知らない表情を見せる西畑くんがいた。仲間が減った関西ジャニーズjrのセンターを率いる重責を背負った西畑くんの目に映る光は、未来への煌めきというよりも、現状突破への闘志の炎に見えた。


あの頃の西畑くんは、責任感の強さも、頑張りすぎてしまう性格も人一倍で、その重圧にいつか押しつぶされてしまうのではないかと怖かった。


とはいえ、お一人様でも松竹座のステージはとても楽しい。後輩たちはみるみる西畑くんの身長を追い越していって、そんな心身共の成長を見るのも面白かった。でも何となく、ユニットも存在しない今、このままではデビューはできないのではという漠然とした不安を、本人もファンも感じていたと思う。

 

 


そんな日々が約3年続いていた、2018年10月5日の夕方頃。大学の帰り道に、Twitterに突然流れてきたアイドル誌の早売りを見て、すぐ母に電話をかけたのは昨日のことのように覚えている。


その翌日「なにわ男子」というグループの結成が正式に発表された。7人のメンバーは同じ関西Jrでもそれぞれの歴史を辿ってきた、年齢も入所歴も今まで加入したユニットもバラバラの選出。西畑くんの隣にずっといてほしかった向井康二くんが選出されなかった。けれど、そのグループのセンターで西畑くんが笑っていたことと、長年連れ添った大西流星くんが隣にいたことに少し安堵した。


そして、なにわ男子のプロデューサーがかつての自担・大倉忠義くんだと知る。関西ジャニーズjrに救いの手を差し伸べてくれた感謝の思いはもちろん、なんとなく昔の伏線が回収されたような気持ちにもなる。何より元々ファンだったからこそ、この人なら需要と的外れな導きをしないだろうという絶大なる安心感があった。

 

 

 

それから3年は、本当にあっという間の出来事。

グループができたことで、西畑くんの肩の荷が軽くなったことはもちろん、新しいお仕事や、話題に取り上げてもらうことが増えた。これまでのメラメラとした闘志の炎が、段々ダイヤモンドの煌めきに変わっていった。向井康二くんが関西から東京へ移動してデビューした。そんな酸いも甘いも全ての思い出全てが、今までとは全く違う新鮮な景色だった。西畑くんが今までで1番楽しそうな3年間が、一瞬で過ぎ去っていく。

 

 

 

2021年。デビュー前にも関わらずオリジナル楽曲が10曲、単独全国ツアーをすれば満員御礼。地上波のお昼にレギュラーの冠番組を持ち、高校野球応援ソングに抜擢、CM・ドラマ・映画・舞台・バラエティ・ラジオの仕事を毎日抱えて、毎月のように雑誌の表紙を飾っている。


関西ジャニーズjrのなにわ男子は、なんとなくテレビを見ている、本屋さんに行く、街を歩くだけでもすぐに見つかるアイドルになっていた。ファンの数も物凄い勢いで増えていった。


「朝ドラに出てる」と教えてあげた行きつけの美容師さんに最近会った時「西畑くんよくテレビで見るよ、売れたねえ」と言われて嬉しかった。ジャニーズに詳しくない人にも浸透するほど、なにわ男子の名は全国的に売れているのだと知った。

 

 

 

そして『あの日』から8年と8ヶ月。


西畑大吾くんを含む「なにわ男子」という7人組アイドルグループが、遂にCDデビューを果たす。


16歳の西畑くんはずっとアイドルのまま24歳になって、私はずっとファンのまま22歳になった。


誰もがその夢を見て、誰かが夢破れて、誰かの夢が叶う瞬間を、何度も何度も目の当たりにした。


「努力が報われるとは思わない」と西畑くんは言う。全員努力しているからこそ、努力だけでは報われないと、本人が1番痛感しているのだろう。自分の力だけではどうしようもできないような運命の中、奇跡を起こせた人だけがその夢を叶えゆくのだ。


それでも私は『あの日』からずっと、西畑くんの努力が報われますようにと祈っていた。


いつか必ず、誰かの夢じゃ無くて、貴方の夢が叶う瞬間が訪れますように、と。


2021年11月12日。

時が来て、ついにその夢が叶う。

デビューしたなにわ男子の第一章が始まる。


今の西畑大吾くんと、

16歳の西畑くんを見つめる『あの日』の私へ。

 

 

 


『なにわ男子、デビューおめでとう。』

 

なにわ男子 - 初心LOVE(うぶらぶ)[Official Music Video] YouTube ver. - YouTube

 

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